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●会社の為、家族の為

ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ

『過積載の指示をしたとして運送会社の支店長らが送検された。』
という記事を新聞でみた。

かの支店長曰く
「管理能力を上司から問われると思い、違法を承知で過積載を社員らに指示した。」と

「売り上げを上げろ、経費はさげろ。」会社員としては当然の指示でありその為に努力すべき事はあたりまえである。
しかしその頭に「法律を犯してでも」や「顧客をだましてでも」と付くと話は別である。

でもね、世の中言外に「法律をー」や「顧客をー」を指示する上司がたくさん居るんです。
いわゆる普通の会社のなかに。メーカーの「欠陥隠し」やカーディーラーの「車庫とばし」とか「不正車検」、ホテルチェーンの建築違反とか大小いろいろとね。
で、ひとたび世間に漏れると「法律違反をしてまでやれとはいっていない。」という。
たしかに<言外に>だから言っては居ないんだろうけど。ずるがしこいやつは言質をとらせない。

それどころかハッキリと「法律違反をしろ。」と言うやつもいる。バカなんだかやり手なんだか。
ホテルチェーンの社長はこっちか?
私の知人がとある証券会社(かなり大手)で支店長だか営業部長だかに「顧客をー」とハッキリと言われ嫌気がさしてやめたと言う。

己の信念に従って会社をやめられる、または会社を告発する事が出来る人がいったいどれくらいいるのだろう?捕まったら大変なことになるのが判っていても家族の事を考えると従うしかない。っていう人の方が多いだろうね。記事の支店長さんも。
<家族の為> 自分を納得させるには充分な言い訳だよね。


「ばれなきゃ、捕まらなきゃ何をやっても良い。」っていうのが人間の性なんだろうか?

「法律には違反しているかもしれないけど誰にも迷惑をかけていない(からたいして悪い事じゃない)。」
と考えていただろうホテルチェーンの社長とかは「障害者のことなどまるで考えていない金の亡者。」とマスコミに叩かれまくっていた。でもそのマスコミだってどれほどの聖人君子の集まりなのよ?って。
本当のところは「自分だけ豪邸に住んでいやがって。ゆるせねぇ。」って事でしょ。

結局、「ひとり勝ち」「独り占め」「単独プレー」を許さない。
日本人の<横並びのルール>を破っているから世間は怒って居るんじゃない?
法律違反なんて本当はどーでもよくって。豪邸が気に入らない。それだけ。
○エモンも○○ファンドもそう。金持ちだから気に入らない。「インサイダーって何?」って奴までいっちょまえに怒ってみせる。TVインタビューで悪を切りまくる。
だから「会社の不正を世間に公表した勇気ある行動」もそういった意味ではルール違反の単独プレー。
世間からは断罪されるべき行為。会社の為家族の為に目をつぶることが出来ない駄目なやつ。
それは罪人なのである。孔子の言う親孝行の息子のほうが正しいのである。「法」より「情」に重きを置く。
だから不正が不祥事がいつまで経ってもなくならない。

「赤信号みんなで渡れば怖くない。」(古っ)てー言う日本人独自のメンタリティなのか全世界共通なのか知らないけど。そういうこと。
「赤信号みんなが渡っているのに待っている。」それは正しいんだけれど正しくない行動。

スピード違反で捕まっても「悪い事をした。」とは反省しないでしょ?
「みんな違反してるのになんでオレだけが。運が悪かった。」としか思わないでしょ?
「捕まえたおまわりだって非番の時に制限速度でなんか走っていないだろ。」とか「どうせこいつらは身内や代議士の違反はもみ消すんだろ。」とか思っているでしょ。
あれっ?なになに?そんな事思った事もないって?おまえだけだろって?
いや俺は「なんて自分は悪いやつなんだ。お巡りさん捕まえてくれてありがとう。」
と深く反省してますよ。

ただすぐ忘れちゃうだけで。


本音と建前の社会なんだよね。本音だけでも建前だけでも生きられない。
上手く使い分けられるやつが出世していく。


言っておきますが我が社では不正は行われておりませんからね。(本音)



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コメント

私は最近、技術者倫理学を勉強しておりますが、企業に関して言うとCSRといいますが、企業倫理というものが大きく、実は技術者・従業員と会社のTOP方針というもののせめぎあいが、特に課題となっております。
過積載のけんにつきましては、非常にいい見識・・・(見識をお持ちの方でも文章にされる方は少ないのだ)とおもいますので、このページに限りリンクを晴らせていただきたく思いますが、いかがでしょう。

▲コメント投稿者: デハボ1000 (Aug 11, 2006, 4:09:35 PM)

自分自身の最後の拠り所は一体何なのか。

そこには社会的地位、世間体そして言い訳など全く関係ない。

それは、義そして仁。

自分で書きながらじ~んとぎた。
すんまっせん。

▲コメント投稿者: 森と山ちゃん (Aug 11, 2006, 9:14:05 PM)