●「偏見」?「思い込み」?~もしくはノンバーバルコミュニケーションその3
ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ
最近「日本語の誤用」に関するニュースが目に付く。言葉は時代と共に変化していくものなので<昨日までの意味が今日には正反対になってしまう事>もあって不思議ではない。
肯定的な表現だった「言葉」が否定的な表現の「言葉」として使われたりするケースとかね。
しかし「話し手」と「聞き手」が同じ単語を逆の意味で使っていたりするともう「言葉」として機能していないでしょ。「意味」が通じないんだから。
<「言葉」>と<「言葉」の「意味」するところ>が共通しているからコミュニケーションがとれる。
「シニフィエ」と「シニフィアン」ってやつ?
コミュニケーションの道具として機能していない「言葉」ってなによ?
○へんけん0 【偏見】かたよった見方。ゆがめられた考え方・知識にもとづき客観的根拠がないのに特定の個人・集団などに対して抱く非好意的な意見や判断、またそれにともなう感情。
○おもいこみ[おもひ―] 0 【思い込み】
[1] そうだとばかり信じきっていること。
[2] それ以外にはないと固く心に決めること。・ ―の強い男 ~『大辞林』~
へー。「偏見」って「非好意的」な場合に限られるのか。
「思い込み」は「心に決める」って事は自発的な行為もあるのか。
しかも客観的に正しいか間違っているかは関係ないみたいね。
「間違っている場合」のみに使うのかと<思い込ん>でいた。
○きゃっかんてき[きやくくわん―] 0 【客観的】個々の主観の恣意(しい)を離れて、普遍妥当性をもっているさま。 ~『大辞林』~
「普遍妥当性」。
これってどれくらいが「普遍」「妥当」のライン?
100万人に聞いて100万人が100万人ともYESと答えるのが「普遍」?
100%の支持。そんな事ってあるのか?結局「多数決」なんじゃないの。
どっちの「意味」で使っている人の方が多いかっていう。
行間を読むというか、「言葉」になっていない「言葉」を読む能力って誰にでもあるってーもんじゃないだろうし。個人差もあるだろう。
「言葉」通りにしか話を聞けないアホ人間も多々いるし、敢えて「言葉」通りにしか聞かない場合もあるし。責任転嫁によく使われるよね。
「そうは言っていない。」って。「確かに言ってないけど、言ったよ。」と。
で、何で「偏見」「思い込み」なのか?
個人の「意見」ってかなりの部分が「偏見」と「思い込み」なんじゃないんだろうかと思うのですよ。当然自分を含めて。いちいち検証しないでしょ。「普遍妥当性」なんか。
「多分みんなこう思っているんだろう。きっと真実だろう。だから『偏見』ではない。」と。
自分が正しいと言う「思い込み」。
ほんの一部の事例で全体を括ってしまうのが「偏見」なんだろうけど一例でも事実があればその人にとっては「偏見」ではないってことになっているのだろうし。
本人には「非好意的」な気持ちが全然無くても読んだ(聞いた)人が「非好意的」な物言いと受け取れば「偏見だ!」ってなるんだよね。そうなると「偏見」は受け手側にあるわけで「偏見」を糾弾している側が「偏見」を持っていて糾弾されている側には「偏見」がない。
「偏見はどっちだ?」。「これが『バカの壁』?」
これって「偏見」を「差別」や「猥褻」に置き換えても同じだよね。
なんだか書いてて判りにくいなぁ。具体性に欠けてるよな。でも具体例を挙げて書くと余計な事書いちゃいそうだしな。
でっ。言いたいことは
「私は『偏見』を持って意見を言っています。でも『偏見』では無いと『思い込んで』います。」
と<開き直り宣言>をしたかったのです。(なんだかタチが悪い宣言だな。)
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