●「インプロビゼーション」
「インプロビゼーション」"Improvisation"=「即興」と訳される。
分かり易いところではJAZZの「アドリブ」だろうか。
最低限の約束事だけを決めて後は演奏者の「感性」に任せて自由に演奏するやつ。
「インプロビゼーション」(長いので以下「インプロ」)は「即興」の意味なので
「インプロ~」となれば、~のところは演奏だったり芝居だったりで
いろんな使い方が出来るのだが。ちなみにネットで調べると「芝居」のスタイルとして
「インプロ」を使うのが多いみたいだ。
で、興味を持ったのがその芝居の「インプロ」。「即興演劇」というやつ。
各演者の設定だけで「台本」は無い。舞台設定すらないんだとか。
その場その場で状況に応じ各人が感性で演じてトータルとして「芝居」(芸術)に仕上げるんだとか。
それって「行き当たりばったり」の「出たとこ勝負」じゃ無いの?って思われるけど。
「芝居である」という大前提の元に「設定」はあるわけで
あくまで演じている訳だから。そうじゃないと思う。
自分自身は正直「演劇」そのものにはそれほど興味は無いし
役者志望なんてことも全くないんだけれど
「芸術」って言う概念にはすごく興味がある。
「音楽」にせよ「絵画」にせよ、「ファッション」だってそうかもしれない
「実用性」の対局にある、ある意味では全く持っての「無駄」ともいえるジャンルが「芸術」。
じゃあ、いらないのか?っていうと絶対にそんなことはない。
実用性だけでは人は生きていけない。と言うより、人たり得ない。
「人」が「人」である所以のひとつだと思う。
ちょっと脱線しそうなんでこの辺でやめとくけど。
「芸術」に対してはそんなスタンスで…。
で、「演劇」にあまり興味のない私が何処に惹かれたのかというと
その「手法」。考え方。なのだ。いろいろと応用が利きそうな…。
考えてみたら普段の実生活だって「インプロ」じゃないのか?って。
次になにが起こるかなんて「台本」があるわけじゃなし
対応だって「マニュアル」があるわけでもなく。
「芝居である。」という前提がない分「演劇」よりかなり「インプロ」じゃないのかと。
じゃあ、人生すべて「行き当たりばったり」「出たとこ勝負」なの?
己の人生振り返るとそうじゃないと言い切れない気もするが。それは置いといて。
「それは、勿論違う。」と言い切ろう。(敢えて言い切ってしまおう。)
<「インプロ」の「演劇」>と<「人生」の「出たとこ勝負」>の違いは?
そう「役割」と「目的」があるか、ないか。の違い。
「己は何者か。」「何を表現するのか。」が明確であること。
「役割」と「目的」が不明確なままだと本当の「出たとこ勝負」。勝ち目はない。
事に対してその辺の「認識」が有るのと無いのとでは対応も結果も大いに違ってくるだろう。
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敢えて言おう
<私の人生は「出たとこ勝負」ではなく「即興人生」だ!>
ついでに、<我が社は即興経営だ!>
あっ、これは私の言う台詞じゃなかった。
(まだ「役割」が判っていないみたいね。)
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