●「トットサッサ運動」
私がまだ二十代の頃
この「トットサッサ」を合い言葉に同僚達と「トットサッサ運動」をやったところそこの『バカ社長』が渋い顔をしていた。
当然、会社にいる間はきっちりと仕事をこなしてやるべき事は済ませる。
必要なら残業もするし休日出勤だって厭わない。その上で
「会社以外での時間をもっと創ろう。」
「会社に隷属しない自立した社会人になろう。」という主旨の運動だ。
と、言ってもそんなスローガンは誰にも言ってなかったんだけど。
あくまでひとりで自分勝手に始めたキャンペーンだ。
総勢十人にも満たない小さな会社だった。当然のように残業代も出ない。
仕事も結構忙しい。会社にいればそれなりにやる事はあった。
安い給金に抗議の意味も多少はあったが(多少ね。お金は大事よ。)
なによりもぐだぐだと会社で時間を潰す「けじめ」のなさが嫌だった。
製造ラインでの作業とかの単純作業が仕事の全てだと考えている人間にとってなら話は別かもしれないが普通は会社にいる時間だけが「仕事」の全てではないだろう。
世の中の様子を見ることや社外の人間との交流だってひとりでゆっくりと考える時間だって「遊ぶ」事だって「仕事」の内だ。
クリエイティブな仕事(デザイナーでした)をするにはむしろ社外での過ごし方のほうが重要ではないかと私は考える。
「井の中の蛙」になってはいけないのだ。
その辺のことが『バカ社長』は判ってないのかそれとも社員(とくに私)が信用できないケツの穴の小さい奴なのか
どうもこころよく思っていない様子だった。
こっちは気持ちよく「仕事」がしたいだけなのに…。
気持ちよく仕事できればクオリティも上がるはずだ。
もっとも「自分は社長なんだ。経営者なんだ。」とことさらに口にする(その自覚は大切だが、心の中で思っていれば充分だろう。)
特権意識(自分だけが大変だと思っている処とかもね)が透けて見える輩がゴキブリより嫌いな私なので、反発しちゃって敢えて「嫌な社員」を演じていた(ここ重要です)処も多分にあったのだが。
「トットサッサ運動」もそんな思惑もあり~ので他の社員を煽っちゃたりしてたからね。
黙って帰りゃいいものを「金になんねぇんだから、とっとと帰ろうぜ。」などと隣の部屋の『バカ社長』に聞こえるように言ったりして。挑発してた。
やりすぎちゃうんだよね、いつも。
そりゃ、もっともな理屈をこねて楽をしようとする奴もいるから迂闊に信用出来ないのも理解できるけれどね。
『バカ社長』の節穴には私がそんな奴に映っていたのだろう。
(私の演技力が素晴らしいのか?)
たぶん共産思想にかぶれた「組合運動もどき」に見えたのかも。
いっとくけど私は共産主義者ではない。赤よりも青が好きである。
身の回りの品物も青系が多い。(色の話なの?)
それでも全ての社員を信用しろと言いたい。お前が採用を決めたんだろうが。
何千人もいる会社じゃあるまいし。
ところで、私は信用に値する人間なのか?値しない人間なのか?
これが難しい問題だ。今さら軌道修正はむずかしいかな。
自分では「真人間」だと思っているんだけども…。
良く判りません。正直なところ。
実は私は「腐ったミカン」だったのか?
何事も自覚がないのが一番タチが悪いよね。
でも「信用する事」って
相手が何者でも関係ないんじゃないかなとも思う。
「こうだったら信用するけど、そうじゃなければ信用しない。」って
条件付での信用なんてもう信用していない事と同じではないかと。
あっ!私は「誰も信じない」んだったっけ。
(そんな記事を以前書いたのを今思い出した。)
そんな人間に「信用」を語られてもねぇ。そりゃあ信用できねぇだろ。
出過ぎた真似をしました。失礼。
今ですか?
「トットサッサ運動」なんてやるつもりサラサラ御座いません。
環境も前とは違うしね。インターネットなんか当時無かったし。
情報収集の手段が無かったもん。あの頃は。
それに若かったしさ。(どういう意味?)
まあ、将来は判らないけどね。
でも、やっぱり自分の目で見たり、耳で聞いたりする事は大切だとは思う。
仕事以外の人間関係も大切だと思うし。
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