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●『バベル』から「ドランクドラゴン」

ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ

●『バベル』から「ドランクドラゴン」

映画『バベル』を観た。(’07のG.W.はこれが全て)

~天にもとどかんばかりの塔をつくり思い上がりの頂点に達した人間は「神の怒り」を買いその言葉をバラバラにされてしまった。~

てな、「心のせまい神」を信じる人達の『愛読書』の中のエピソードからとったタイトルの映画。
でも宗教色はありません。
「コミュニケーション」の話なんですけどネタバレになってしまうので詳しくは書かないつもり。
(これから観る人の事を思いやるなんて、なんて偉いんだ、私は。)

自国語の通じない「もどかしさ」を感じる事って普通の暮らしをしているとあまり感じないかもしれない。
たま~に海外旅行に行った時とか、外国人観光客に突然話しかけられた時くらいでしょ。
あとはジャングルジムに喰われてる外国人を見かけた時くらいか。

映画はそんな「もどかしさ」を見せてくれる。
何か「事」が起きた時に意思の疎通が上手くいかないと大変ね。って。

映画そのものは面白かったです。最後までおきてました。
『*****の大和』は2/3位は寝てたけど。
(面白かったのか?つまらなかったのか?寝てたから判らない。)

で、考えたのは「コミュニケーション」について。

これは外国語が話せるとかの問題ではない。
「コミュニケーション」は「言葉」だけの問題では無いって事。

以前英語が全くしゃべれない若者をNZで「マッサージパーラー」
(ご想像の通りのお店です。)に連れてった事があったけど二人っきりで個室に入ってもちゃんとやる事やって出てきたもんね。
「言葉」なんてそんなもん。(あんま良い例えじゃないなぁ。)

日本語で喋っているんだけどなんだか話が通じない人とか言葉は理解できるんだけど何を言いたいのかサッパリ判らない人なぜか会話がかみ合わない人って身の回りにいません?(読んでいる本人って事もあるけど。)

問題はこやつらの「コミュニケーション能力」。
(と、言ってはみたもののコッチ側の理解力に問題があるのかも知れないが。)

例えば
やたらに難しい単語や専門用語を使う奴。
後から自分の都合の良い様に記憶を書き換えちゃう奴。
論理が思い切り飛躍しちゃう奴。
質問されているのに見当違いなことを答える奴。
言葉の意味を独自の解釈で使う奴。などなど。

これは話の内容に限ったことではなく声の大きさや調子とかもそう。
静かな場所で目の前にいるのにやたらでかい声でしゃべくるはたまた蚊の鳴くような声で聞き取れない。
そりゃそれぞれ声に特徴があるのはしょうがない。
でも、相手に伝わらなければならないでしょ、会話って。
声の大きさを調節出来ないのだな。

会話のテクニック(騙そうとか、説得しようとか)として使う場合もあるだろうが。それとは別ね。

で、詰まるところ「自己中心的な奴」なんですわな。きっと。
目の前の会話の相手のことをまるで考えていない。
相手が理解できていようがいまいがお構いなし。
自分の都合だけでしゃべる。演説と一緒だね。
まあ。えてしてこういった人達って「頭の回転が速い」場合が多いのだが。
会話って相手があって初めて成立するんだから。
「会話」にならないんじゃあねぇ。コッチの事も考えてよ、となるわな。

そう。「自己中心的な奴」とは言うなれば「想像力に欠ける奴」の事。
相手の立場になってみる。という想像力が働かないらしい。
出来ないのか、しないのか判らないが「他人を思いやる」事をしない。

偏見で述べるが、いわゆる「ヲタク」にこの手が多い。
っていうか、私はそう言った人達を「ヲタク」にカテゴライズしているのだから、当たり前か。

(私の解釈では、「ヲタク」と「マニア」や「コレクター」は別モノなのだが 一般的な解釈としては〔「ヲタク」=「マニア」〕となっているようなので そのように使うことにしている。この件については機会があれば書きたいと思う。) 
 

「ドランクドラゴン」の「塚地」がコントで演じる青年。といえば判る人には判るかな?
「自己中心的」「場の空気が読めない」「自意識過剰」な人物。
なんか「気持ち悪い」と感じる。そこが笑えるんだけど、自分は舞台の下だからね。
現実に「鈴木」の立場に立たされたらいやだよな。
(「ドランクドラゴン」を知らない人のことは想像してません。)

『バベル』から「ドランクドラゴン」に流れ着いたのが今年のG.W.でした。

もっと「想像力」を働かそうぜ!



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