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●「モノ」の価値観に関する考察~食べ物編~その2

ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ
産地の偽装や賞味期限の改ざんなど
「食の安全」に関してここのところやたらと
マスコミが騒がしいが…。

私が書くのであるからして
「偽装などけしからん。」とか
「私たちの安全は誰が守ってくれるの?」
なんて事は書かない。

私に関していえば、今、手に入るモノを手に入る範囲で
黙って食う。それだけである。
自分が栽培したり、採取してきた食べ物ではない限り
安全なんて保証されない。
国産だろうが中国産だろうが食って体調が悪くならない限り
ガマンする。エンゲル係数が上限だ、他になにが出来る?

だいたい、私が小学生の頃は
「ちゃんと、<農薬>を使った野菜をきっちりと<洗剤>で洗って食べなさい。」
って、学校で習ってたぞ。
まあ、理由は主に衛生面(いわゆる虫をいれるなっ、つー事)だったけど。
今じゃ「無農薬」の方が良いらしいし、花粉症の治療にわざわざ虫を入れる
ってな事になってるらしいじゃない。「常識」なんて不変のものじゃないからね。

「無農薬」「有機栽培」などと聞くといつも思い出す話がある。
私の母親の知り合いの女性の事なのだが。

今から十五年以上前の話、その頃は今ほどには「食の安全」が
人々の話題になる程ではなかった。昔から周期的に「添加物」や「合成着色料」
なんてモノがマスコミに取り上げられていたが、ちょうど今回の<ブーム>の
走りの頃かな?

一部の<知識人>(この言葉もなんだかよう判らんが)が
「添加物」や「農薬」の問題を取り上げていたが
大手スーパーに「無農薬野菜」なんてモノはまだ並んでなかった。
都会では、一部の懐に余裕がある人達しか手に入れられず
まだまだ庶民の口には<安全な食品>が入りにくかった頃だ。
需給の関係で割高だったからね。

そして、件の女性なのだが、仕事は薬剤師。旦那さんは医者。
健康には人一倍気を遣う。
「無農薬」「有機栽培」「無添加」以外の食材は口にしない
(本当かどうかは判らないが、ウチの母親はそう言っていた。)
いわゆる<安全な食品>ばかりを選んで食していたと言う。

「添加剤」その他、「良く判らない化学物質」を食事ごとに取り入れている
私の家族なんぞに比べれば、かなり長生きするんだろうな、と思いきや。
皮肉にも彼女は五十代半ばにして<ガン>に。
還暦を迎える事なく天に召されてしまった。

<ガン>の発症と「食」の因果関係は判らないけど
この事例からは少なくとも

「食べ物に拘っても<ガン>は予防出来ません。」
ってー事が私には判った。

発症には色んな理由があるんだろうけれど
私的には「意味無いじゃ~ん。じゃあ、好きなモノ食った方が良いや。」
と言う結論。先のことは判らない、駄目なときはやっぱり駄目。
「事故」や「病気」に気をつけるのは大切な事だろうけれど
最終的にはなるようにしかならないのが人生。と悟りました。
ケ・セラ・セラってーの?

「あんなに気をつけてたのに、どうして?」って、悔いながら死ぬのと
「やっぱりな。」って納得出来て死ぬのとどっちが良い?
誰だっていずれは死んじゃうんだから。「死に方」って大事だと思う。
「生きる事」だけに、心が囚われていると「死ぬ事」が目に入らなかったり
見誤ったりするんだと思うんだよね。
「生」から「死」までが「人生」なんだからさ。

さて、人生観はともかく私にとって「食の安全」って
じゃあどういう事?

先ず、本来他人に求めるもんじゃ無いよね。きっと。
自分で判断する事が何よりも大切。自分が納得出来なければ
口にしない。口にする以上はある程度の覚悟(妥協?)は必要。
完璧って求められないでしょ?
「安全」の反対は「危険」だけど、「安全」じゃないって
じゃあ、どれだけ「危険」な食べ物なんだ?って事。
その辺の見極めが、どれくらいの「リスク」を
受け入れる事になるのかが判っていないと。

「<賞味期限>内だったから腐っていたけれど食べた。」
なんて奴はいないはずだよね?。
「<天然>ものだから、ふぐの肝を食っても安全だ。」
なんて思っている奴もいないよね。ふつう。
極端だけど「他人の評価」に安全を求める人間って
そんな奴らだと私は思う。

自分が食べるものでしょ。自分が食ったモノを
隣の人が消化して、その隣の人がウンコしたりしないんだから。
自力で「生産」出来ない以上はある程度他人を信用しないことには
成り立たない。「リスク」は覚悟しなきゃね。
他人を信用する「リスク」を。

「これを食べていれば安全、安心。」って事は裏返すと
「これを食べたら大変なことになるかも?」って
怯えながら食べなきゃならない場面に出くわすって事にならない?

誤解されちゃ困るのは(別に困らないか)
私は「安全な食品」を求める事を否定している訳ではない、って事。
やっぱり畑でもいだばかりのトマトやキュウリは美味しいし
出来ることなら余計な化学物質は体に入れたく無いってのが本音。
ただ、心が囚われてしまう事はまずいんじゃ無いのーって話。
身体が健康でも心が不健康じゃどうしようもないもんね。
これを読んで「何だこの野郎。」って思った人。
心が病んじゃうよ。免疫力が落ちちゃうよ。
「まあ、人それぞれだよね。」って軽く聞き流せる様じゃ無くっちゃね。

そもそも「食べ物がある」ってだけで、それが幸せな事だって人々が
今現在もいる事を忘れないようにしないといけないよな。
食い物についてああだ、こうだ言えるって幸せなんだって事だわな。

そんな事で、私は「タバコ」も吸います。やめる気も
今のところありません。「リスク」も覚悟の上で。
昔テレビでみた中国の元気なじいさんは
長生きの秘訣を訊かれて「タバコを吸う事。」って
答えていたもん。

”tabacco”は"chemical"だから体に悪いけれど
”hemp”は”natural”だから体に良い(?)
と私に力説していたのは”Heidi”だったっけな?

価値観は人それぞれだよね。


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