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●「三分帰晋」

ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ

ようやく『三国志』全八十四話が終わった。

三国(魏、呉、蜀)が滅び「晋」王朝が歴史上に現れた。

そしてその「晋」も勿論の事遙か昔に滅んでおり
今は「中華人民共和国」が有るわけだ。
歴史は続いているのだな。

しかしあれだねぇ、「世襲」はいかんね。
やはり「禅譲」が理想だね。

もっとも「力ずくの禅譲」もあるから一概には言えないのだが
少なくとも「力」や「野心」のある人間に引き継がれる事だけは
間違いないので、あれよあれよと国家が衰退してしまう様な事はないでしょう。
人民が幸せかどうかは為政者の人格や運次第ってとこもあるから
どちらとも言えないんだろうけれどさ。

まあ、基本的にはフィクションなのでどこまで信用出来るか判らないが
「劉禅」がねぇ…。もうアホアホ二代目の見本のように描かれている。
実際の所、世の中にはアホ二代目、アホ三代目が溢れているのだから
本当にあんなだったんでしょうな。きっと。
もう、周りの有能な将軍たちが可哀想で可哀想で。
「あの劉備の子供がこれかよ。トホホッ。」ってなもんで
孔明達も大変だったろうな、と同情してしまいます。

やっぱ、組織は「頭」で決まるよね。
孔明がいくら優秀でもやっぱり役割は「頭」じゃ無いんだよな。
『三国志』の時代では「血筋」が重要な要素にもなるんだけれど
今の時代だとなんだろうね?もう「血筋」がどうこう言う時代じゃないと思うが。
でも、脈々と受け継がれている(と言われている)
「血筋」が我が国にも存在している事実から
「国」単位くらいの規模で考えると
「血筋」ってのはいまだに生き残っているのだな、実際の所。
そう考えると今も「歴史の途中」なんだと。なんだか不思議な気分。
意外と人間って大昔から変わっていないのかもね。

まあ、「国単位」くらい大きな話での「血筋」の重要性はある程度認めても良かろう。
一国をまとめるほどの「権威」だの「拠り所」だのを
作り上げる時の「大儀」には必要だろうから
「血筋」の方が「本人」より大切なこともあるでしょう。

でもねぇ、たかが$%&##%ふぜいが「血筋」だなんて、ちゃんちゃらおかしいよねぇ。
何百年も続いてるわけじゃあるまいし。続けば偉いってもんでも無いだろうし。

ミトコンドリアの歴史を辿れば「アフリカのイブ」に行き着いちゃうそうだから
人類みな血縁、同じ血筋なんだから。「アフリカのイブ」の子孫って。
せいぜい「モンゴロイド」「ネグロイド」「コーカソイド」くらいの分類
なんじゃないのかな。

自分の血筋じゃなくってももっとふさわしい「他人」が居たら
そっちに譲るくらいの大きさが欲しいよね。
「世のため、人のため」なんて口では言うがそんなのは嘘っぱち
あくまで「自分のため」「自分の家のため」って事だもんな。
人間がちいせぇ。天下国家を論じる「器」ではない。

五百年、千年後の歴史書には「今」の事は
どんな風に書かれているんでしょうな?
きっと、「今もあんまり変わってねえな、人間って。」とか言ってるんだろね。
未来人達は。


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