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●<順番>が来た。

ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ

オートバイ乗りは

そんな事はあり得ない、間違っていると判っていても

「自分だけは死なない。事故らない。」

と思っている。

オートバイ乗りに限らなくても
殆どの人は「自分だけは―。」と多かれ少なかれ
心のどこかで思っているだろう。
そうでなくては、怖くて外に出られない。
いや、家の中にいても安心していられないだろう。

オートバイに乗らない人から見たら
「なんで、わざわざあんなに危険な乗り物に乗るんだ?」
ってなものだろうが
乗っている当人にしてみればそれ程危険な乗り物だとは思っていない。
自転車だってジェットコースターだって危険と言えば危険である。
それに何しろ「自分だけは死なない。」って思っているんだから。
何に乗っていても同じである。歩いてたって危険はある。

「<運の無い奴><技術の未熟な奴>から事故るだけで
 自分の<順番>はまだまだ先。きっと寿命が尽きるまでは回って来ない。」

どこかで、そう思っている。
それは決して「奢り」とかでは無いと思う。
そんな考えが少しも無かったらば人生何も出来なくなってしまう。
況してや、オートバイなど乗っていられない。

その反面
人間は誰しも何時どうやって死ぬか判らないし、死は必然なのだから
「何時死んでもおかしくない。」とも思っている。
矛盾しているかもしれないが死をいつも意識している。
ただの「無謀な人間」では無いし、「自殺志願者」でも無い。


そんなオートバイ乗りの一人に<順番>が回って来てしまった。

私が懇意にしてもらっているショップの常連さん。A氏としよう。
数人で某所にツーリングに行き、左コーナーで曲がりきれずに
対向車線に飛び出した所、対向してきたオートバイと正面衝突。
A氏は即死、相手も意識不明の重体となった。
日曜の午前中の出来事だった。

A氏が乗っていたのは1000ccの大型スポーツ車。
100キロを超えるスピードでコーナーに入っていったそうだ。
相手の人が乗っていたのもメーカーは違うが同じく1000ccのスポーツ車。
こちらも100キロ以上出ていたらしい。
相手の人のその後を知らないが
命は取り留めたものの、身体的ダメージはかなり酷かったとか。
一人で走りに来ていて事故にあったらしい。

事故の原因は完全にA氏の<オーバースピード>。
こう言っては何だが「自業自得」。言い訳のしようがない。
相手にしてみれば「貰い事故」。本当に運が悪いとしか言い様がない。
ほんの数秒でも時間が前後していれば当たらなかっただろうに。
えてして、事故というのはこの様に偶然が重なって起きるものだ。

と、ここまで聞くと
「若者の無謀運転が引き起こした悲劇」
と思われがちなのだが。
さにあらず、である。

A氏は働き盛りの45歳。分別あるいい大人である。
自分も一、二度面識があるのだが、確か小学生の子供がいた。
そして、相手の人もニュースによると44歳。
残された両家族のことを思うと何ともやり切れない。

亡くなった人の事をとやかく言うのはなんだが
「いい大人が、どうして…?」と。
オートバイに乗る様な人はどこかガキっぽい所があるものだけれど
「ガキじゃないんだから…。馬鹿野郎だね。」と思う。

ショップの社長さんもかなりのショックを受けていた。
そりゃそうだろう、つい先日まで馬鹿話をして笑っていた人が
突然逝ってしまったのだから。

自分も長いことオートバイに乗っているので
十代の頃からかなりの数の仲間、知人を見送っている。
逝ってしまった奴の事はもう、仕方がない。それが寿命だったのだろう。
二度と会えなくなっってしまった、と言う「寂しさ」に耐えればいい。
だた、「残された人達」を見るのが忍びない。

年齢が行くほどに、「世の中との関わり」が増えるほどに
「残された人達」の数が増えるものだ。
十代の頃に「仲間を見送る事実」と向き合った事と
今とでは受ける印象がずいぶん違う。
自分にも「世の中との関わり」が多くなっているからだろう。


こんな事書いていると気分が沈んできちゃうな。
読んでてもそうだろうと思うが。
「なら、書かなきゃいいだろ。」とも思うけど…。
書くことで気持ちを整理しているんだよね。
「より良く生きる為に」さ。

お付き合いありがとうございます。

自分や自分の仲間に<順番>が回ってくるのは
ず~~~~~~~~~~~っと先でありますように。

"Godspeed you!"


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コメント

人間の生死は、所詮「必然」と「偶然」の上に存在するのかもしれません。

おこってしまった事実に「もし、あの時・・・」はなんの意味もありませんからね。

それでも「生きている人」と「死んでしまった人」が存在する以上、何かの法則や力を感じてしまうのが人間です。その人知を超えた力の存在が「神」なのかもしれません。

神に見守られている人は生を与えられ、悪魔と目の合ってしまった人は生を奪われる。人間は自分の力で存在することはできないのでしょうか。

亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

▲コメント投稿者: きかん坊 (Nov 18, 2008, 8:52:59 AM)

生まれてきた事に「意味」が無い限りは
死ぬ事にも「意味」は無い。

僕にとっては「生」も「死」も「等価値」なんだ。

▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Nov 21, 2008, 2:07:03 PM)

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