●「メタ認知」
「認知」と言っても
「あの時の子供よ。あなたが父親に間違いないんだから
ちゃんと認知してよね。」
「ああ。そうだね。(本当にか?)」
…って~のでは無くって
認識する事、<心の作用>の事。
「メタ認知」とは簡単に言っちゃうと
自分を「客観的」に見る事。
何かで怒りまくっている時に
『俺、何でこんなに怒ってるのかなぁ?』とか
めちゃくちゃに悲しい時に
『俺、泣いてるよ。涙もろくなったなぁ。』とか
心のどこかで冷静に<自分の事を他人の様に見ている>事だね。
「怒るときは本気で怒り、泣くときには本気で泣け!」ってな
話しもあるとは思うが
別に演技で怒ったり、泣いたりしてる訳じゃないもんね。
「冷めてる」って言えばその通りなんだけど
<感情に振り回されない、より強い自分の存在>がある
って考えるとなんだか頼もしくない?
「感情にまかせて行動する」って
危なっかしいでしょ? どう考えても。
怒りにまかせてやっちまった事って
大概はろくでもない結果になってる。
これは経験則。
以前書いた「抽象度」に似た話だけど
より高い次元から物事を見たり考えたりするのって
大切なことだと思う。
だって、「自分で自分がコントロール出来ない」って
なんか情けないような気がするから。
「ケモノかよっ!」って。
「自分で自分をコントロール出来ない人」って
「自分は自分で自分をコントロール出来ない人である。」って
事を認識してるのかな?
きっと、認識出来ていないから
「自分で自分をコントロール出来ない人」なのであって
「自分は自分で自分をコントロール出来ない人である。」と
認識していれば
「自分で自分をコントロール出来ない自分」を
コントロール出来るのでは?
そうなると
「自分で自分をコントロール出来ない人」でも
「自分で自分をコントロール出来ない事を判っている自分」を
コントロール出来るのならば
結局は自分をコントロール出来るのか?
(な~んて、いつものように言葉遊びをして「自分、自分」
と書いていたら、ゲシュタルト崩壊が起きた!
なんだか「自分」って字がへんてこりんな文字に見える。)
遊びはここまでにしておいて、話しを続けましょ。
全てがコントロール出来るとは思わないし
「わかっちゃいるけど、やめられないっ。」ってのは
と~~~っても気持ちがいい、だからだもんね。
「暴走」もたまにはしたほうがいいよな、とは思うものの。
暴走中に『只今、暴走中。』って思ってちゃ
本当の「暴走」じゃないよな。
メタ入ってるもん。
(相変わらず、ワケわかんねぇ事書いてるなぁ、私って。
これって暴走中?)
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