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●「スコトーマ」(scotoma)

ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ

「スコトーマ」とは「盲点」という意味なんだそうだが

ここ(どこ?)で言うのは「心理学的な盲点」の事で

「見えているのに、見えていない」という

まるでなぞなぞの様なハナシ。

「画像」として網膜に映っていても
本人が「認識」出来ていなければ
それは「見えていない」のと一緒って事。


そして「認識」をするには「経験」が欠かせない
人が何かを「認識」するというのは
その時目にしたモノを一瞬にして
自分の過去の「経験」のデータベース(「記憶」ってことだね)
に照らし合わせて
「ああ、○○ね。」と理解すること。

もし、「未知のモノ」であっても
「似たモノ」「近いモノ」を「検索」し、推論を混ぜて
「○○のようなモノ」と「認識」する事が出来る。

このデータベースになんの情報も入っていなければ
目にしたモノは「未登録」の情報として
新たに登録しなければならない。

俄には信じられない様な話だが
「タテ縞しか見た事がない状況で育ったネコはヨコ縞が認識出来ない。」
って話だ。どんな行動をするのかよく判らないんだけれども
どこかの「心理学の本」で読んだ覚えがある。

もっと身近な例(?)で云うならば
目の前を通り過ぎるたくさんの「自動車」の中から
「おっ、フェラーリ250GTOだ。」と「認識」出来るのは
既に「フェラーリ250GTO」がどの様なカタチなのか
を知っているから「認識」出来るのであって
クルマになんの興味もない人ならば
「カローラ」も「フェラーリ」も
ただの「自動車」としてしてしか「認識」出来ない。
「フェラーリ250GTOが通ったよね?」って聞いても
「そうなの?なんかちょっと変わったのが通ったけど。」
ってなってしまう。

「経験」は「認識」に必要なのだ。

ところがである。
その「経験」が逆に「認識」の邪魔をする事がある。
どちらかと云うと「未登録」よりも
こちらの方が厄介なのだな。

先の例で云うと
実は「フェラーリ250GTO」ではなく
「S30がベースのレプリカかも知れない。」って事。
「音」に注意が向かえば「12発」か「6発」かで
判別出来たのだが
「カタチ」だけで判断が止まってしまう。
現存する数から考えると本物に遭遇する確率は
非常に低い、って事にも考えが及ばない。
(ワケが判らない人の方が多いと思うけど、そう言う事。)

いわゆる「思い込み」ってやつだ。
脳内を「検索」をして出てきた「間違った答え」を
「正解」だと「認識」してしまう。
いや、正確には「認識」出来ていないので
「認識」したと思い込んでしまう、のである。
「ああ、アレだね。」って間違って「認識」しているので
モノの「本質」が見えていない
そもそもが「記憶」そのものが間違っていることだってありうる。
本人は正解だと思い込んでいるので
改めて検証する事もしないから
ず~と間違えたまんま。

これが例の「車種」の問題なら実生活に大した影響もないから
どーでも良いって云えばどーでも良い事だけどね。

色々と「経験」をしてデータベースを増やすのも良いが
「検索の精度」が伴わないとせっかくの「経験」が
ムダになってしまう事があるのです。

「ネット」と「検索エンジン」の関係もそうだわな。



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コメント

かつて、知り合いの知り合いの音楽マニアが言いました。
「レコードには音楽が詰まっているのではない、詰まっているのはただの音のカタマリにすぎない」と。
そしてそれを「音楽」と認識できるのは「聞き手の頭の中にある理解度による」と。
至言だと思いました。

そこにある「事実」と、それ対する「認識」とは必ずしもイコールじゃないということなのですな。

▲コメント投稿者: たなかじゅん (Mar 23, 2010, 1:41:08 AM)

ひとつの「音」と
その次の「音」
またその次の「音」と
「音の繋がり」が「音楽」になるのなら
「今の音より以前の音」を「記憶」していなければ
「繋がり」が認識出来ないわけで
そこに「時間」と云う概念が必要になる。

「時間」とは「記憶の積み重ね」で有ると云えるでしょう。
「今」しか認識出来なければ「過去」も存在しない。

そう言った意味で「理解力」は「記憶力」に依存する
って事でよろしいですか?

▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Mar 23, 2010, 9:22:15 AM)

「理解力」のベースにはもちろん「記憶力」も必要とされますがそれだけに依存しているわけではありません。
そのことに対して「造詣が深いかどうか」「関心があるかどうかです。

自分になじみのないジャンルの音楽を聴きはじめたとき
どの曲も同じように聞こえますが、
より深く知るようになるとその違いや面白さがわかってきます。
フェラーリの例と同様です。

そういうことではないかと思います。

▲コメント投稿者: たなかじゅん (Mar 23, 2010, 1:36:05 PM)

>そのことに対して「造詣が深いかどうか」「関心があるかどうかです。

「造詣が深いかどうか」とは言い換えると
ある事柄に関しての「記憶の量」が多いかどうか
と云うことが出来ます。

それ以前に
やはり重要なのは「関心があるか」と云うことでしょう。
「関心」が向かう所では「記憶の量」が増えますが
「関心」の向かわない所には「スコトーマ」が現れます。

「関心を持つ」と云うことは
訓練である程度は高める事が可能な
「記憶力」などの能力(脳力)とは
別のエモーショナルなものだと思われます。

ただ、「エモーション」(情動)も脳の働きに因るものであるならば
単に「脳の活動部位の差」でしかないのかも知れませんが。

▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Mar 23, 2010, 2:09:16 PM)

そういえば、こういういかにもぼくが食いつきそうな話題は
きっとボクが食いついてくると思ってアップされてるんでしたよね(笑)

もちろんそういう撒き餌には食いつきますとも。
据え膳食わぬは男の恥でございます。

▲コメント投稿者: たなかじゅん (Mar 26, 2010, 1:36:59 AM)

お付き合い
ありがとう御座います(笑)

▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Mar 26, 2010, 8:37:57 AM)

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