●「わらう」
「それをどけてくれ!」なんて云うと
言い方によってはキツく聞こえてしまい
殺伐とした現場になってしまう。
そこで「それ、わらって。」となる。
タダでさえ忙しい現場なのだから
「コトバ」ひとつで雰囲気が左右される。
「ちょっと、どけてくれる。」
普段なら別段気にもならない「コトバ」だが
云う方も慌ただしいと
「どけてくれる。」が「どけろ。」になったりする。
ちっと苛立っている時とかには
「どけろ、とはなんだこの野郎!」となる。
濁音の入る「コトバ」って何となくトゲがあるように
感じるって事もあるだろう。
それを避けるための「知恵」として
「コトバ」を「ヤサシイ=コトバ」に置き換えて使う。
「わらえっ。」って云われると
意味するところが同じでも「カチン」と来にくいでしょ?
でも、慣れたら一緒かな?
いかにも「日本人的な知恵」だとは思うが
私は嫌いではない。日本人だしね。
こういった「知恵」のない人間
「気配り」の働かない人間が私は嫌いだ。
いままで何度も書いてきているが
「コミュニケーション能力不全」の人間だ。
「意味を伝える為だけの言語能力」しか持ち合わせていない人間。
たとえば
隠語なんか使わなくったって
「ちょっと、どいて。」よりも
「ちょっと、通して。」って云った方が
云われた方も感じが良いでしょ?違うかな?
「どいて」は
「あなたが(私を通す為に)動きなさい。」ってニュアンスがある。
優しく云ったとしても相手のとるべき行動を一方的に指示しているから
本来が命令的である。
それに対して
「通して」は
「わたしが通れる様に協力し(動い)て貰えますか?」ってなカンジで
行動の判断を相手に委ねているから命令的と云うよりは
どちらかというと「お願い」ってニュアンスになる。
「指示」と「お願い」、云われる側だったらどっちが良い?
別に「自分に命令するな」とか「自分を敬え」なんて
不遜な事を言いたいワケじゃない。
「コミュニケーションに気を遣おうよ」ってだけのこと
「相手の立場になって考えようよ」って。
わたしゃ気にし過ぎなのかね?
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コメント
ははは…まったくもってその通りですね。
「どけろ」で思い出したのですが、関西ではこういうとき
「自分のためのはずなのに、まるで第三者のために頼んでいるかのような」ぼかし方をする表現を使います。使役表現「たれ」言葉です。
「兄ちゃん、そこどいてぇや」→「兄ちゃん、そこどいたれや」
本来はやわらかい表現になっているハズなのに
その実、そっちのほうがコワイという現象が起きています。
余裕を見せ付けられる感じが怖いのでしょうか…。
▲コメント投稿者: たなかじゅん (Apr 18, 2010, 3:05:34 PM)
「余裕のあるところを見せる」のは
相手にある意味「恐怖」を感じさせます。
人間は「判らない」モノに対して恐怖を感じ
勝手に想像を膨らませてしまい
ますます不安になってしまうところがあります。
第三者的発言ではその「本音」が見えない
ってところに不安を感じる為でしょう。
人を怖がらせる「プロ」は
そのあたりの心理に精通しています。
これも「相手の立場になって考える。」と云う
コミュニケーション能力の高さの表れでしょう。
▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Apr 18, 2010, 11:59:24 PM)
あんた!休みの日になるとゴロゴロして!私だって休みたいのに掃除、洗濯してるんだから自分の周りの物くらいわらってよ!!
……やっぱり怖いッス。
さらに本当に笑ったら地獄ッス。
▲コメント投稿者: きかん坊 (Apr 22, 2010, 12:12:25 PM)
た、たしかに怖い。
▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Apr 22, 2010, 10:05:20 PM)