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●中づり広告

ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ

電車に乗って出かける時は

文庫か新書を持って行く。

本を忘れてしまった時は
たまたま
「おもしろそうな人」が居れば
人間観察をしているか

車内の広告を読んでいる事が多い。

ある欧州在住の人が書いたモノを読んだら
海外(まあ、欧米の事でしょ)の
電車内には日本ほどの広告は無いそうだ。
電車内が広告であふれているのは
日本独特の風景だとその人は書いていた。
自分の記憶を辿ってみても
見かけなかった様な気がする。

この辺りは文化の違いなのか。

その土地に住んでいれば
当たり前の風景が
他所では珍しい事だったりするのが
おもしろい。

でも、普段から気にしていないと
そんな些細な違いには
気が付かないものだろう。

電車に乗っても
携帯をいじったり
ゲームをしたり
速攻ねむったりと
あたりを気にしていなければ
車内に広告があることすら
気付かないのかもしれない。

興味や関心がなければ
目の前にあるものでも
見えないものだ。

存在に気付いていても
当たり前の景色と思ってしまえば
興味からはずれ
よその国の電車内のことにまでは
考えが及ばない。
何かの機会に
他国の電車に乗る事があっても
その違いに気付くことはないだろう。

常に意識をしていないと
対象に意識を持っていかないと
気付きは生まれない。

中づり広告に興味を持ったところで
なんのメリットがあるの?
って云う人もいるだろう。

確かに「それで?」って
聞かれたら返事に困ってしまう。
実際なんの役に立つのか?

でも普段から
色々なモノに
意識を持っていく訓練をしておかないと
「大切なモノが見えなくなってしまう」
という危険があるのではないかと
自分は思ってしまう。

杞憂だろうか?

また逆の面も考えられる。
意識ではなく無意識の問題。

電車に乗れば
広告はイヤでも視界に
入ってくる。
視覚がとらえている以上は
脳に信号が送られているハズだ。
意識していても、していなくても
脳は確実に見ている

無意識の中に
広告の
文字が
画像が
刷り込まれている。

いわゆる
「サブリミナル効果」だ。

たまに車内の広告が
全て同じブランドで統一されている車両に
出くわす事がある。
それなど話題性もあるだろうが
実のところ「サブリミナル効果」を狙った広告
だと自分は思うのですが。

自分では気が付かないうちに
広告で見かけた商品を
帰りがけに寄ったスーパーで
なんとなく
手にしてしまっているかもしれない。

その程度なら
大した実害がないから
構わないかもしれないとも思うが。

自分では全く気が付かないうちに
誰かによって行動をコントロールされる。
これは恐ろしい事である。

「そんな事はない。自分は自分の意志で行動している。」って
自信を持って云えるだろうか。

これも杞憂だろうか?


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コメント

業界で働く人間として…ズバリ正解です!

現代人は広告によって無意識に情報操作されています。

広告を打つ側は何処にどんな人が住んでいて、どの様な行動をとるのか、何を見せると反応するかまで計算ずくです。

子供がいる家庭には進学塾のチラシが入り、お年寄りのいる家庭には墓地のチラシが入ります。

たまにいかがわしいチラシが郵便受けに入っていると「バレてる」と焦るのは私だけでしょうか…。

▲コメント投稿者: きかん坊 (Dec 30, 2010, 5:21:52 PM)

流行に乗せられやすい人間
ってのは今ひとつ信用が出来ないもので。
芯がないというかあってもころころ変わって
何が芯なのかいまいち定まらないと。
流行に敏感な人間とか
流行をとらえるのが巧みな人間とか
流行に乗るのが上手い人間とかは
また別の話であってこちらの人間に対しては
敬意を持って接するべき人間だとおもう。
流行に対して「受動的」か「能動的」かの
違いであり流行に乗っているのか
流行に乗せられているのかが問題で
流行に乗る事そのことに関して
否定的な考えを持つものではない。
あくまで「受動的」であることに
気付かないその感受性の鈍さが問題なのだ。

▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Dec 31, 2010, 12:26:38 PM)