●日本語は議論に向かない言語?
ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ
「議論」とは互いの「論理」を戦わせて
論理的に正しい結論に近づくための方法なのだ
と私は思うのだが。
「日本語は議論に向いていない。」と誰かが云っていた。
「日本語とはどんな特徴がある言葉?」との問いに
良く云われる事のひとつが
「表現が細やかで多彩
あるひとつの事柄を表現するのにも
幾通りの単語があり語彙が豊富。」
なんてのがある。
どっかのCMで見た様な記憶があるのだが
「雨」に関する単語だけでも
「霧雨」「小雨」「時雨」「俄雨」「涙雨」など
何種類もある、ってな事を云っていた。
似たような例は幾らでも出てくるだろう。
また「敬語」という厄介なのがあるし
「男言葉」「女言葉」なんてのまである。
「単語」の種類だけでなく
お互いの立場、関係性で
使うコトバが
何通りもあったりする。
そう、日本語はとても複雑で「情緒的」なのだ。
裏返すと
日本語は「論理的」じゃないのである。
「情緒的」の対義語としては
「論理的」がふさわしいと思うが如何だろう?
正確なところは学者さんではないので判らないけれども。
日本語は「コトバ選びが大変」なのだ。
この辺りを指して
「日本語は議論に向いかない」と
云っているのではないだろうか?
勿論、「議論」ではなく
「説得」や「交渉」では
「感情」という要素を取り入れる必要があるし
それがテクニックでもあるのだが
本来「議論」に於いては「感情」は不要なもの
あくまでロジカルに結論を導き出すのが目的だ。
日本語には二人称は幾つあるのだろうか?
「あなた」「きみ」「お前」「貴様」
「あんた」「てめぇ」「おめぇ」
私は日本人だし
外国語に詳しいわけではないが
英語なら「あなた」に対する単語は
”YOU”だけだろう
中国語でも
「ニイ」(漢字が出ない)と
「ニン」(尊敬の気持ちが込められている)
くらいしか無いそうだ。
どちらも
基本的にはコトバに男女の区別はない。
外国語にも
<男的な言い回し>や<女的な言い回し>など
立場や場面によっての
使い分けはあるだろうが
多分日本語ほどややこしくは無いだろう。
<語尾>だってたくさんある。
「~です。」「~だ。」「~でしょう。」「~だろ。」
「~ですか。」「~なの。」「~よ。」「~である。」
「~じゃん。」「~だぜぇ。」
「お前の云うことはおかしい!なぜなら~、」
『チョット待て、社長に向かって<お前>とはなんだっ!けしからん!』
なんて事になって
一度「感情的」になってしまうと
もう
冷静に「議論」する事なんて出来なくなる。
本来の「議論」とは全く関係のないことで「議論」が止まってしまう。
本筋を見失うのである。
そんなことにならないように気を付けながら
コトバを選んだり、言い回しを考えながら
「議論」をしなければならないのが日本語である。
なっ、日本語ってめんどくせぇ、って
おめぇもおもうだろ?
| 固定リンク
コメント
「日本語は論理的ではない」とよく言われますが、それは大いなる勘違いです。日本語とは実はかなり「論理的な言語」なのです。例は腐るほどあるのですが、書ききれません。
ひとつ例を上げるなら、日本では英語以外のすべての教科の教科書が日本語で記述されているという事実が、それを証明しているでしょうか。「論理的でない言語」ならば、そういうことはありえません。
ただ、「論理的でない」と言われる理由の多くが、「そういうことを言っている人自身が論理的でない」という場合がほとんどです。
▲コメント投稿者: たなかじゅん (Oct 1, 2012, 3:38:29 AM)
「頭の中」を記述してアウトプットする為の道具が言語ならば
言語は思考そのものであり、論理そのものであるはずです。
いかなる言語も「論理的で無い」なんて事はありえません。
道具として使いやすいのか使いにくいのかの差はあるでしょうが
道具は人が使うもの。使う人次第です。
「語彙の差」ごときで感情的になり大切な議論が出来なくなる様な人間は
他人を理解出来ないし、自分を理解して貰えないのは当然。
「論理的に~」以前の問題です。
▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Oct 1, 2012, 9:30:19 AM)
たしかに仰るとおりですね。
感情が先に立って論理がぐしゃぐしゃになってしまうんでしょう。
▲コメント投稿者: たなかじゅん (Oct 1, 2012, 5:09:41 PM)
さきの例に関して云えば
「議論によってより良い答えを求める事」よりも
「自分に敬意を払って貰いたいという欲求」の方が
優っている状態。優先順位をどう考えているか?でしょう。
まあ、人間から感情を取り除けない以上
それをどうコントロールしていくか?が
大切なんでしょうね。
▲コメント投稿者: ダース=トリオムーン@ミナロ (Oct 2, 2012, 11:03:07 AM)
「日本語は論理的ではない」でこのページを検索した所、
たなかじゅんさんの発言しかヒットしませんでした。
誰も「日本語は論理的ではない」だなんて言ってないんですよ。
「日本語は議論に向いていない。」と言っているだけで、文章の意味を曲解し、
ブログ主のそれとは乖離した、ありもしない論点を批判していますね。
そんなあなたに送ります。全然論理的じゃないですね。
日本語でも議論は出来る、
しかしそれは「可能である」というだけで「向いている」という事への証明にはならない。
可能不可能と、向き不向きの問題は、全くの別問題です。
>日本では英語以外のすべての教科の教科書が日本語で記述されているという事実が、それを証明しているでしょうか。
全く証明になっていない。
そもそも、英語以外の教科書が日本語で書かれているのは、ここが日本国であるからです。
>言語は思考そのものであり、論理そのものであるはずです。
ダウト。言語というものは未だ不完全であり、時代と共に今までもこれからも変化しています。
言語は、自分の思考を伝えるための手段です。
言語が思考そのものであるのなら、言語が出来た瞬間から、それはもう、未来永劫変化する必要は無いはずです。
無論、日本語が持つ特性を把握した上で、
それが現れないように気をつけながら議論をするという事は可能。
そのためには、
「相手の言っていることを鵜呑みにするのではなく、相手の言わんとすることを汲み取る。」
というスキルが必要なのですが、
こんな芸当は、高度に教育された人間にしかできません。
事実、ここのコメント欄が、鵜呑みにするどころか記事の内容を曲解までしてますし。
▲コメント投稿者: アヴァロン (May 9, 2013, 11:45:05 AM)