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●言語と思考と

ライター:ダース=トリオムーン@ミナロ


何か物事を考えるって時には

コトバが無いとそれが出来ない。

「ひらめき」って奴は言語ではなく、視覚なんかからやって来たりするけどやっぱりコトバに置き換えないと理解出来ない。言語ってのが無いと思考が出来ないものなのか、コトバを使わないで物事を考えるのって可能かと考え、そしてそれを他人に伝えるのには言語を使うけれど他の伝え方、たとえば絵とかを用いる事が可能なのか?でも結局は共通の経験があってこそ、絵でもジェスチャーでも通じる訳で、やはり概念は言語化されて記憶している。しかし受け取る他人は言語に翻訳して理解しようとするだろうからやはり言語無しにはコミュニケーションは成立し得ないのか、などと考えてみるがコミュニケーションは言語のみで行われる事は無いので成立すると考えられなくもないが結局の所は言語を用いて理解をするのが判ると云う事ならば、言語の役割は外せない。コトバにしないと何ひとつできやしない気がするけどどうなのか?論理的にって云うコトバは言語を使うことが前提になっているわけでコトバに出来なかったり、論理的に文章が組み立てられないのは結局は思考が出来ていないのと同じ意味なのかっていうのは果たして正しい事なのかそれともアウトプットの問題であって他人に伝える語彙が不足しているから、であって伝わらないのか否か。伝える語彙が不足しているって事は思考に用いる語彙も不足しているって事だから、だからやはり思考が足りないのか。1万語で思考する場合と10語で思考する場合ではでは内容に差が出るのか、はたまた、言語以外の思考方法を用いているのか?ではそれは何なのか?は相手の頭の中に入ってみないと自分には理解できないだろう。論理的な文章は論理的な思考から生まれるが論理的な思考からは必ずしも論理的な文章が生まれるとは限らないのか。そもそも他人に伝えられない思考は思考と呼べるのであろうか?言語を用いない人類は存在出来るのか、いや、言語を用いたからこそ人類に成ったのだろう。悟りを得てもそれを他人に伝えることが出来なければ、アウトプット出来なければ当人だけで完結してしまう。それもまた良しとするなら完全な自己満足であり他人を必要としない人生を送ってヒトと云えるのか疑問が残る。

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